九十歳。何がめでたい(佐藤愛子)を読んだので感想

この記事を書いたひと: @t4traw 2019年8月27日

ずっと読もう読もうと思っていた佐藤愛子さんの『九十歳。何がめでたい』を読みました。

いくつか「昔の人の考え方だなぁ」と感じる部分はあるが、全般的に現代の「これは人が進むべき正しいのか?」「大丈夫なの、それ?」という疑問を突っ込んでいる痛快な風刺画的エッセイでした。

切れ味よく突っ込んでいるのだが、丁寧な言葉や温かい言葉を使っているので、めちゃくちゃ読みやすいです。

また、ぼくは典型的なチキンハートの持ち主なので、佐藤愛子さんの強さに憧れます。きっと、人生相談でも送ろうものなら「いい年して何言ってんだ」とか「言いたいこと言わないなんてバカバカしい」と言われちゃうんだろうなぁ。


しかし最近、海が見える家(はらだみずき)や、そういう「幸せの定義」とか「人生とは」といった事を訴える本に、よく出会う。

この本も、そういった人生の哲学的なことを問いかけるような事が書いてある。

ある日のことだ。私は地下鉄のプラットホームに立っていた。向い側のプラットホームの端っこに、見るからに粗末な身なりのホームレス風の老人が立っていて、目の前に雑誌を広げた格好のまま、ヒゲもじゃの顔を仰向けて大口を開けて笑っている。彼が両手で持っている雑誌は投目にも表紙のごたごたした色彩からマンガ雑誌であることが見てとれる。

老人はマンガを見て大笑いしているのである。歯がないためか、口はくろぐろと穴のように開いていて、私の耳には届かないが、さぞや大きな笑い声が流れ出ているであろうと思われる。実に無邪気な、憂さを忘れた無垢な笑顔だった。「よかったねえ。そんなに笑えて」と私はいいたくなった。

ああまで彼を笑わせているマンガはどんなマンガか、私は見たくなった。せめて作者の名前だけでも知りたかった。ここで、こんなに笑ってくれる讀者がいると知ったら、作者はどんなに嬉しいだろう。

(中略)

後日、私はその話を親しい友達に話した。すると、高学歴を誇る知的女性である彼女はいった。

「でもね、そんなノンキ者だからホームレスなんかになってしまうのよ。成功して行く人はマンガを見て笑ったりしないのよ」

「なるほどね」といって私は絶句した。確かにこの世の過酷な現実を生きるとはそういうことかもしれない。しかし、だからこの私はあの老ホームレスこそ「幸せを心に持っている人」だと思うのである。

ほんとね。幸せとは?生きるとは?そもそも生きる目的とは?「シンプルだよ!生まれちゃったから自分ができる楽しいこといっぱいしよう!」と簡単に言うけど、それって結構難しいよね。自分の脳が化学反応する趣味を見つけられるか?趣味だったら打ち込めばいいけど、恋愛だったら相手あってのことだし……etc……。

最近、そういう事をずっと考えてしまう。

僕は一応技術者として、今の社会(というか日本)に絶望しているタイプなんですが、こういう思考へ陥ると非現実に逃げ出したくなる。

故に、僕はSFが好きなのかもしれない。だって恋愛や現代物だと、感情移入したあとに現実へ帰ってきた時、また涙がでちゃうじゃない?

現実の辛さを紛らわしてくれるのは他にアルコールくらいで。人を幸せにしちゃう薬は禁止されてるので、最近はVRに期待している。

アルコールで記憶を消して、バーチャル世界にうつつを抜かし、心から笑っていたとしたら僕は幸せでしょうか?

色々と考えさせてくれる本でした。

あーSF読みたくなってきたなぁ。

それでは。